■PiC Interview VOL.021 「
笠原恵司(第四回)

先週までのインタビューを振り返り、広告とコミュニケーションについて考える。芸術と商業主義の間で、広告はどのようなスタンスを取るべきなのだろうか。

Text/大屋友紀雄】
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メインとしての広告

芸術を深く考えていくと、僕たちが想像可能な枠組みの外側や境界線ということに行き着いてしまうかもしれません。だけど、さしあたって、それは措いておいてもいい。少なくとも、そういうものは多かれ少なかれコミュニケーションを拒絶するものだし、そこにコミュニケーションが成立するとしたら、結局は「想像可能な枠組み」に回収されているという自己矛盾を起こしてるわけです。

コミュニケーションを拒絶することで、なんとなく「芸術っぽく」振る舞おうとするのが一番格好が悪いですよね。それだったら、いっそコミュニケーションの方向とか強さなんてものを気にしていた方が、よっぽど健全だと思います。

ということで、コミュニケーションの話。

本文の中で、15秒という時間枠が日本のCMの制約になっている、という話が出ました。15秒という時間は実はとても短くて、実際にメッセージとして使うことのできる時間は7秒から10秒です。その中で効率よくメッセージを伝えるためには、楽をしなくちゃならない。

どんな風に楽をするかというと、ハナから背後にメッセージを抱え込んでいるものを出しちゃえばいい。日本でのタレント広告の隆盛は、そのあたりにポイントがありそうです。

「タレント」は日々活動する中で、大量のメッセージを発しています。タレントをCMに出演させれば、そのメッセージを背後に含意できるわけです。これはラクチンそうだ。要は、CMそのものじゃなくて、タレントに代わりにコミュニケーションしてもらっちゃおうって魂胆です。

だけど、そうやってラクチンしてる間に、どんどん世の中ってのが複雑になってきちゃいました。世の中に出回っているメッセージをタレントが代表できなくなってきて、困ったことになってきた。例えば広末涼子の支持のされかたと、石原裕次郎の支持のされかたって、やっぱり違うわけですよ。

そうなってくると、これはもう運試しみたいなことになってしまって、当たるも八卦、当たらぬも八卦みたいなことが起きています。一概にタレント広告が悪いとは思わないけれども、少なくとも、それとは違うコミュニケーションのとりかたを考える必要がありそうです。

違うコミュニケーション、ということをもう少し突っ込んで考えてみます。これも本文に出てきたことですが、いわゆる「お約束」みたいなものがなくなってきています。世の中全部がメインなきサブ、みたいな状況になってしまってますよね。

だから、何か「お約束」みたいなものが立ち上がってこないと、なかなか面白い状況にはならない。 いくら「今までとは違う価値観で!」なんて頑張ってみても、「じゃあ、今までの価値観ってナニよ?」と訊かれて応えられないようじゃ、お話にならない。

そういった意味では、メジャーであったりマスであったりすることが、重要になってきます。誰かが真ん中を歩かないと、脇道の面白さが出てこない。広告ってのは、そういう真ん中を作っていくもんじゃないかなあ? 

今回のインタビューで、そんなことをツラツラと考えたのでした。

(笠原啓司、終わり)







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