3回に渡ってお送りしてきた中川監督のインタビュー。4回目にあたる今回はインタビューを振り返りながら、普通ということについてレビューを試みる。中川監督の「優しげな視線」の源泉にあるものは?


Interview&Text:Yukio Ohya


今回のインタビューを通して、もっとも頻繁に出てきた言葉があります。それは「普通」ということ。この、「普通」はけっこう含蓄のある言葉で、いろいろと考えさせられたように思います。

そういえば、僕たち(1970年代生まれ)が育ってきた環境は、「個性が豊かなこと」がいいこととされていました。これは、偏差値で人生が決定してしまう、といった学歴社会に対してのアンチテーゼとして唱えられてきたように思います。

この状況はちょっと複雑に入り組んでいて、まず、パブリックに「ヨイコト」とされていたのが、勉強ができて良い大学に入ることです。けれども、勉強だけが人生じゃないよ、ということでいわばアンダーグラウンドで「ヨイコト」とされていたのが「個性的であること」でした。

ようするに、建前としては「学歴」があり、本音として「個性」があったわけです。しかし、さらにややこしいことに、実際に幸せになるためには、という議論になると「やっぱり学歴」みたいな、いわば「超本音」が流通していたのも確かです。

ここで、幸せ……という言葉が出ましたが、ナニを持って幸せとするかが微妙なところです。はっきりいって判断つかない問題だと思います。

まあ、素朴に言えば、だいたいの欲求ってのは、生理的な欲求と、精神的な欲求なわけです。なんだか、マズローとかいうおっさんが理論化していたように思いますが、とどのつまりは、「消費することによって得られる快感」と「自己を実現することによって得られる快感」ということになるかと。

でもって、「消費することによって得られる快感」については、学歴をクリアすることが一番の近道であることが、暗黙の事実として流通しているわけです。かみくだいて言うと、サラリーの良い会社に入れば、たくさんモノやサービスが買える、ということ。

一方で、それだけじゃない、自己を実現することも大事なんだ、という立場が、「個性」というスタンスになります。これって、マズローのおっさんによると「高級な欲求」ってことになっています。ところが、僕たちの住んでいる社会とは恐ろしいところで、そんな「個性」だとか「自己実現」なんかも消費の対象としてパッケージ化されてしまったりします。

その結果、原宿あたりにいる娘たちが「同じような個性的な格好で徘徊する」というシュールな状況が引き起こされます。

もうひとつ見逃せないのが、「個性的であること」に対しても、コンビニエンス化の波が襲ってきていることです。

これは80年代にヘタウマであったり、おニャン子であったりが流行したことと決して無関係ではありません。「努力しないでいきなり有名人」というサクセスストーリーがメディアによって喧伝されたことによって、「個性」や「感性」でメシが喰えるという幻想が生み出されてしまった。ゆえに、第一次予選である「受験」から、第二次予選である「個性」に一斉にシフトしたように見えます。

モノゴトの難しさを従量的に比べるのは非常に難しいのですが、少なくとも個性的であることや感性に秀でていることの方が、勉強ができるようになることよりも難しいように思います。なぜなら、勉強は努力すればいいだけですが、個性とか感性は努力ばかりではどうにもならない要素を多分に含んでいます。

だからこそ、「個性的」であったり「感性に秀でていること」のニーズが高まるわけで、誰にでも実現できる「個性」や「感性」にはあまり意味がありません。

そうすると、「個性」や「感性」がないことに対しての救済措置がなければ、多くの人が困ってしまいます。「誰もが個性的」という言葉は、言葉そのものから「矛盾」を孕んでいるからです。ちなみに、ここで言う個性であることと、自己決定権があることってのは別の話なので、それはまた別の機会に。

さて、その救済措置。個性的でなくても、感性に秀でていなくても、充分に幸せを得ることができるのですよ、ということを世の中的にオーケーにしていくこと。これです。

インタビューの文中で、「中川監督は、視線が優しいですね」というくだりがありましたが、それは上記のような考えに基づいています。

個性的であることを「幸せの条件」にしてしまうと、多くの人が幸せになることができません。ですから、「幸せの条件」はもっと別のところになければと思います。

そういう意味で、中川監督の作品には「幸せの条件」のヒントがたくさん散りばめられています。

普通であることに対して、もっと優しい視点が世の中に流通してもいいはず。個性や感性への過度の幻想を捨てよう。そんなことを強く感じたインタビューでした。

……が、しかし。我々はその「個性」や「感性」でメシを喰おうとしているわけですから、これはもう大変です。なんでこんな茨の道を選んだのだろうと、ローソンのジャイアントフランクを囓りながら思う、梅雨空の昼下がりなのでした。


【中川陽介/プロフィール】
なかがわようすけ。1961年東京生まれ。武蔵大学経済学部を卒業後、1984年、出版社SSCに就職。若者向けの雑誌編集部でデスクとして活躍し、また、FMラジオ番組やビデオプログラムの監督、プロデュースを行う。1995年、SSCを退社し、自ら東風創作社を設立(現株式会社大風)。翌年、映画『青い魚』監督&脚本。本作品は1998年ベルリン映画祭ヤングフィルムフォーラム正式招待作品に選ばれる。以後、数々の世界の映画祭に招待、上映され、日本では渋谷ユーロスペースにて公開された。2作目となる『Departure』も、自ら脚本を手掛け、99年「サンダンス・NHK国際映像作家賞」優秀賞を獲得。また、本作品も『青い魚』に引き続き、2001年ベルリン映画祭ヤングフィルムフォーラム正式招待作品に選ばれるという快挙を成し遂げた。

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